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第58回山口教授のコレが言いたい!2014年

12月 30th, 2014

 

国民の年金基金を危険にさらしてでも株価を上げようとする安倍政権
~この「暴走」を、国民は傍観していていいのか?~

 

年金積立金管理運用独立行政法人 政権支持率は株価に連動する――そう信じて疑わない安倍首相が、またも「暴走」を始めている。

国民の年金積立金で株を買って株価を引き上げようというのである。

これを受けて、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は8月にも運用方針の見直しを公表し、以後日本株の購入を進めるという。

国民の大事な積立金を、時の政権が勝手に株価変動のリスクにさらす。そんな「暴走」を、私たちは傍観していていいのだろうか。

 

アメリカでも公的年金基金を株に投じることはしていない
~クリントン政権が試みようとしたが、強い批判を受けて断念~

GPIFの資産規模は130兆円にのぼる。現在、その基本ポートフォリオは国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%、短期資産 5%というものだが、報道によれば、 国内株式の運用を20%位にまで高めようというのが安倍政権の方針のようである。それだけでも、10兆円近い資金が株式市場に追加的に投じられることになる。
しかし、そもそも公的な年金の積立金を株というリスク資産に投じること自体、本来は「禁じ手」である。国民の多くが株式投資に慣れ、巨大な株式市場を持つ金融大国アメリカでさえ、公的年金の積立金で株を買うことはしていない。それがいかにリスキーな行為であるかを、多くの国民が知っているからである。

1999年1月19日、アメリカのクリントン大統領が、一般教書演説で高齢化に対処するためとして公的年金積立金(1997年末6,555億ドル=約70兆円)の株式運用を提案した。しかし、当時FRB議長だったグリーンスパン氏をはじめ、各界からの強い批判を浴びて断念。以後、株式運用は行われておらず、現在も100%国債で運用されている。

リスク資産への投資が時として多額の損失につながることは、わが国の歴史でも実証済みである。GPIFの前身である年金福祉事業団が、バブル崩壊とともに不動産や株式投資で巨額の損失を負ったことは多くの国民が知っている。
GPIFのリスク資産比率は3割弱だが、それでもリーマンショック前後には巨額の損失を負った。2007年度の運用実績は5兆5,178億円の損失、2008年度には9兆6,670億円の損失だった。
また2011年度の運用実績は2兆6,092億円のプラスだったが、7~9月期には欧州危機に伴う世界的な株安や為替の変動で3兆7000億円ものマイナスになった。外国株式による2兆7350億円、国内株式による1兆1698億円の損失がひびいた。

国民の大事な年金の積立金を株に投じるのは邪道、止めるべきだ――こういってトップの「暴走」を諌める重臣は安倍首相の回りにはいないようである。残念ながら、クリントン大統領に対してグリーンスパン議長が果たした役割を黒田日銀総裁に求めるのは難しい。ちなみに、「トップの回りがイエスマンばかり」という体制がいかに危険であるかは、企業経営者なら誰でも知っていることである。

 

「政府の意図」が市場経済をゆがめる

多額の年金積立金を株に投じることの問題は、たんにそれがリスキーだということには留まらない。「企業経営に口をはさむ権利」でもある株式を、政府が管理できる資金で大量に保有することは市場経済に対する政府の直接的な関与を強めることになりかねないからである。社会主義的な計画経済や軍事政権下の統制経済ならまだしも、市場経済を基本とする資本主義国家では、これも明らかに禁じ手なのである。
アメリカで公的年金の積立金を株式に投じようとしたクリントン大統領が一斉に批判を浴びた理由の1つもここにある。日本でも、この点を問題視する声は少なくない。

GPIFは株式の運用を増やす見通しで、投資先への関与を強めて運用成績の改善を目指す。・・・ただ、公的機関が民間企業の経営への関与を強めることは、国策に沿った経営判断を民間企業に強いるリスクがある。GPIFが運用面での独立性を保てなければ、こうした取り組みが弊害を招くとの見方もある。(日本経済新聞2014.5.22)

安倍首相は、成長戦略を後押しするために年金積立金を株式市場に振り向けるのだという。この点に関し、GPIFの三谷隆博理事長は朝日新聞とのインタビューで下記のように答えている。

記者:運用資産見直しの議論では、経済を活性化させるために年金資金を活用すべきだという意見もありました。
三谷理事長:損失リスクを抑えながら、リターンを大きくするには、運用資産を分散することが基本になる。その中で、たまたま経済活性化に役立つという分野はあるにこしたことはないが、そっちから入るのはいかがなものか。(年金資金は)あくまでも現在と将来の年金受給者のためのお金だ。(朝日新聞2015.3.25)

政府から「独立的」であるべき日本銀行に対し、総裁任命権を行使して事実上自分の「言いなり」にさせたのが安倍首相。はたして、GPIFは今後「独立性」を維持できるのか、大いに疑問である。

 

株価上昇による資産効果は一時的
~海外投資家に儲けさせても日本経済の成長には役立たない~

公的年金の積立金を株に投じることで株価が上昇すれば、その「資産効果」で消費が拡大する。そうなれば経済成長にも貢献する――こんな「論理」で公的年金基金の株式投入に賛成する声もある。しかし、仮に目論み通りに株価が上昇したとしても、その資産効果一時的でしかない。

昨年の四半期別GDPは、第Ⅰ四半期が4.8%、第Ⅱ四半期が3.9%と大きな伸びを示したのに対し、第Ⅲ四半期には1.1%、第Ⅳ四半期には0.7%と大幅にスローダウンした。これは、年前半は円安の進行を背景に株価が急上昇したことで消費が刺激されたが、後半にはその効果も息切れし、消費の伸びが急速に鈍化していったことを示している。
また、現在株式売買に占める海外投資家の占めるシェア(金額ベース)は6~7割に達している。そこで、「年金マネーの存在をちらつかせて海外勢の新たなマネーを呼び込み、日本株の一段高につなげる」(日本経済新聞2014.6.14)というシナリオが描かれるのだが、これが果たして経済成長に寄与するのだろうか。

麻生太郎財務相は衆議院財務金融委員会で、株式市場の動向に関連して、「GPIFの動きが6月以降出てくる。そうした動きが出てくるとはっきりすれば、外国人投資家が動く可能性が高くなる」と期待をもって述べたという。しかし、国民の年金積立金を使って海外投資家のマネーを呼び込んでも、そこで儲けたお金は海外投資家によって海外に持ち去られることになる。これがなぜ日本の成長に貢献するのか。

最後に、年金積立金の株式投入で首尾よく株価が上昇するかどうかもわからない。というのは、株価にとっては今後下落圧力となる要因も少なくないからである。
1つはアメリカの量的金融緩和政策QE3の終了である。金融市場の資金的だぶつきがこれまで株価水準の引き上げに貢献していたのだとすれば、秋にも向えることになるQE3の終了は株価の下落圧力となって作用することになる。
また、銀行の株式保有にも圧力が加わる。国際的な取り決めによって、本年9月の中間決算から、日本の銀行は自己資本比率を算出する際、長期保有株のリスク量を2倍以上に見積もらなければならなくなる。単純計算では、3つのメガバンク・グループだけでも9兆円強の株式を吐き出さなければ、現在の自己資本比率を維持できなくなることになる。とすれば、これが株価の下落要因となる可能性もある。

いずれにしても、株価の上昇・下落にはさまざまな要因が絡む。そんな株価を公的な資金の投入で引き上げようとする発想そのものに無理がある。国民は、しっかりとした批判精神をもって、政権の策動をチェックしていく必要がある。

第57回山口教授のコレが言いたい!2012年

12月 14th, 2014

“新政権に望む”
~今こそ「中小企業が発展できる国づくり」を!~

安倍晋三総選挙の結果を受け、安倍晋三政権が誕生する。
新政権にはぜひとも「中小企業が発展できる国づくり」を強力に進めてもらいたいと思う。そして、その手始めとして、とくに強く期待したいのが、“中小企業を織り込んだ成長戦略”を早急に策定することである。

もちろん、「成長戦略」の策定とその実施は、民主党政権下でも進められてきた。しかし、中小企業のもつ技術や提案力を正当に評価し、それらを成長戦略の中に積極的に位置づけることが十分になされてきたかといえば、必ずしもそうではない。
そこで、新政権には「中小企業の活躍」を明確に織り込んだ成長戦略をあらためて策定し、いつまでに何を、どういう方法で、どれだけの予算を投じて実施するのかという「工程表」を提示してもらいたい。


医療分野など、
中小企業の新規分野への参入を促すための「インフラ」を整備せよ!

たとえば、成長戦略として、医療の産業化や最先端医療の推進が唱えられてきた。
しかし、日本では、中小企業に医療分野への参入を促すような「インフラ」が未だ整ってはいない。

ドラッグラグ新たな医療機器が実際に製造販売されるようになるためには、「開発→治験→審査→承認」という過程を経なければならないが、日本の審査機関(PMDA、医薬品医療機器総合機構)に企業が治験に関する相談に行くと、その料金は1回2時間で240万円にものぼる。相談内容が多様になればなるほど、その金額は膨れ上がっていく。
さらに、「いつまで待てば認可が下りるのか」も分からないまま、資金力に乏しい中小企業からすれば、耐え難いほどに長期間待たされる。これでは、多くの中小企業は医療産業への参入を断念するほかはない。

ちなみに、アメリカでは審査機関は国の行政機関(FDA、アメリカ食品医薬品局)である。企業からの無料相談に応じたり、審査期間の短縮が図られている。これがアメリカ企業の医療分野での国際的優位性を支えている。

また、医療関係者と中小企業との情報交流のための「インフラ」も整備する必要がある。実際、「医療関係者がどのような技術を必要としているのか」という情報が乏しいために、意欲はあっても医療分野への参入が果たせないでいる中小企業は少なくない。
反対に、医療分野に応用できそうな、どんな技術を日本の中小企業が持っているのか、「それを知りたいが、知るすべがない」と嘆く医療関係者も少なくない。そこで、両者の情報交流の場を設置したり、ビジネスマッチングをコーディネートする専門家の育成などが新政権の課題になる。

もちろん、こうした施策は、けっして医療分野に限られるものではない。航空・宇宙分野や福祉分野など今後成長が期待される分野、あるいは農業など新たに中小企業の参入・活躍が求められる分野では同様に重要な政策課題となる。様々な施策で参入障壁を引き下げながら、情報交流やマッチングを推進する――新政権がこうした政策課題の達成にどれほどの力量を発揮できるか。私たちは強い期待を持ちながらも、厳しい視線でそれを見守っていかなければならない。

バイオ技術の活用など、中小企業の技術を活用した新エネルギー政策を実行せよ!

バイオマス成長戦略においては、新たなエネルギー産業の育成もきわめて重要な位置を占める。とりわけ「脱原発」が国民的要望となった現在においては、それをどう経済的発展に結びつけるかが課題となっており、この点においても、中小企業の技術力を積極的に取り込んだ施策が望まれる。

たとえば、スモールサン会員企業の中に、「(株)コンティグアイ」という企業がある。同社は従業員10人程度の研究開発型中小企業だが、この会社は草や木や紙くずなどセルロース系と呼ばれる繊維から、特殊な酵素を用いて、バイオエタノールを低コストで精製する技術を持っている。
非食糧型バイオエタノール (セルロース系) の精製については政府の補助金を使った研究が数多くなされているが、未だいずれも1リットルの精製コストを100円以下にすることができないと言われている。ところが、「コンティグアイ」は1リットル60円を切るコストでエタノールを精製できる技術を有しており、現在マスコミでも大いに注目されている。

ところで、読者諸氏は、エタノールを水に混ぜて透過膜を通すと、電気が発生することをご存じだろうか。
エタノールから水素イオン、水から酸素または水酸化物イオンが抽出され、それらが混ざることによって電気が発生する。いわゆる「燃料電池」の仕組みである。すでにバイオエタノールで電気を発生させる装置も開発されている。

そこで、政府が庁舎などにエタノール精製プラントとそうした発電装置を設置して、庁舎内で出されたシュレッダーゴミなどからエタノールを精製、それを用いた自家発電装置によって庁舎の使用電気の数%を賄うというのはどうだろうか。
さらに、同様の施設を設置した大型ビルなどにも補助金を出す。こうした推進策を実施すれば、脱原発、脱CO2への強いアピールとなって、それがさらなる技術開発を誘導することは間違いない。これこそ、成長促進策である。

ちなみに、本年夏に実施された環境省の実証実験で、「コンティグアイ」の技術が放射能の除染に活用できることが明らかになった。
というのは、同社の技術を用いて放射能に汚染された草木からエタノールを精製すると、その過程で放射性物質が分離され、精製されたエタノールには放射性物質が一切含まれていないことが判明したからである。

とすれば、政府がそうして精製されたエタノールを積極的に買い上げて、庁舎の発電に使用することは十分に可能だということになる。
これを実施すれば、被災地域はエタノールの売却益を得ながら放射能除染を進めることができる。

しかも、このエタノール精製過程で、汚染物質の容量は10分の1程度に圧縮されるので、汚染物の処理もはるかにやりやすくなる。現在、飯館村では同社の技術の実証実験を終え、事業化の構想が検討されている。

このように、脱原発、脱CO2を視野に入れた新エネルギー産業の育成を、中小企業の技術を織り込みつつ実施していくことは十分に可能であり、またそれが必要なのである。
問題はただ一つ、新政権がこうした事実に目を向ける「感性」や「能力」を持っているかどうかである。




コンテンツ産業で活躍する中小企業を積極支援して、日本のブランド価値を高めよ!

先日、スモールサンの海外進出プロデューサーで、シンガポール在住の上原正之氏から「私がよく行くCDショップからJポップのコーナーが消えたんです。とうとうKポップのコーナーに浸食されてしまいました」という話を聞かされた。

私は「これはヤバい!」と思ったのだが、読者諸氏はどうお感じだろうか。

企業の成長にブランディング戦略が必要なように、日本経済の成長にも「日本のブランド価値を向上させる」戦略が欠かせない。

韓国の映画やドラマを観ていたり、Kポップを日常的に聴いている東南アジアの国民が、サムソンのテレビや現代(ヒュンダイ)の自動車に親しみを持つようになることは容易に想像できる。また、「行ってみたい国として韓国を一番に挙げる」ようになるだろうことも想像に難くない。

シンガポールのCD販売店からJポップのコーナーが消え、さらに日本の映画やドラマがアジア諸国で観られなくなれば、これら諸国の人々の「日本へのあこがれ」が衰退し、日本のブランド価値が低下する。

それは日本への観光客の減少や日本製品の海外市場でのシェア・ダウンを引き起こしかねない。
新政権が日本経済の成長を本気で願うのであれば、こうした事態を真剣に憂慮し、具体的な対策を講じるべきである。

クールジャパンコンテンツ産業の発展が経済成長を促す効果があることは民主党政権下でも十分に認識されていた。
実際、経済産業省は「クール・ジャバン」という戦略を打ち出して、日本の文化やコンテンツの海外普及に取り組んできた。
しかし、日本のコンテンツ産業は米国に次いで世界二位の規模を誇っているにもかかわらず、その支援にかける予算は未だ韓国の10分の1でしかない。様々な補助金によって国家支援を受けた韓国のコンテンツ企業と海外市場で競う場合には、日本企業は大きなハンデーを負わされている。

コンテンツ産業には中小企業も多く活躍しており、その海外進出を積極支援して、日本ブランドの価値を高める政策が早急に実行される必要がある。それこそ、新政権の戦略性が試されるといってよい。

「アジアとともに発展する日本」を国家理念に!
~アジアとの良好な関係なしに、中小企業の発展なし~~

6最後に、新政権には「アジアとともに発展する日本」を、国家理念として国際社会に向けて鮮明に宣言してもらいたい。

尖閣問題をきっかけにした中国との関係悪化が、日本の製造業の活動を大きく減退せしめたことは各種の統計で明らかである。実際、両国の関係悪化が日本自動車の中国での販売を難しくして、関連する日本の中小企業の中国工場では一時生産活動が半減するという事態も発生した。
両国の関係改善が日本の中小企業の発展にとってきわめて重要であることは、もはやだれの目にも明らかである。これは中国経済にとっても全く同様である。
両国政府が国内のナショナリズムを煽っているかぎり、両国の経済的発展は大きく阻害されることになる。

また、現在、アセアンに日本、中国、韓国、インドなどが加わった「アセアン+6」という自由貿易圏構築に向けた動きが進行している。これを成功させていくことは、日本の中小企業の発展にとっても極めて重要である。

たしかに、中国、韓国とはそれぞれ尖閣、竹島という厄介な問題が存在しており、「良好な関係」を築いていくことは容易ではないかもしれない。
しかし、それら諸国を含むアジア諸国との良好な関係なしに、日本経済の発展も、中小企業の発展もないことを十分に認識しておかなければならない。新政権が、様々な英知を結集して、アジアとの良好な関係を構築してくれることを期待しないわけにはいかない。

「中小企業が発展できる国、日本」。その実現に向けた施策の実行こそ、今回の選挙で示された国民の負託に応える道である。
――新政権はこのことをしっかりと認識して、政策運営をあたってもらいたい。

(2012年12月17日執筆)

第56回山口教授のコレが言いたい!2011年

7月 2nd, 2014

「TPP参加問題」再論
~「知らないまま」「知らされないまま」の「参加」でいいのか~

 TPP参加問題についてはすでに前号のスモールサンニュースの巻頭記事で解説したが、その際にも記したように、TPPに関する最大の問題は、TPP参加に伴って生じると懸念される問題について、国民の多くが「知らないまま」「知らされないまま」事態が進行しつつあることにある。

野田首相の「事実上の参加表明」の1週間後に、すでにTPPの事前協議が始まっていた

 国民が「知らない」、あるいは「知らされていない」事実の1つ――それは、アメリカがTPP参加に関連して日本に最優先で要望しているものは、「農産物市場の開放」ではないということである。

 すでにスモールサン会員の方々には一斉メールでお知らせしたが、野田首相が事実上のTPP参加表明をした1週間後の11月17日と18日の両日、アメリカ通商代表部のマランティス次席代表が日本に来て、外務省や経済産業省の高官に対し、アメリカ側の要望事項を説明した。

 この事実を当初外務省はひた隠しにしていた。民主党の山田正彦氏らは外務省に対し、「TPPの事前協議をしていないか」と何度も尋ねたが、「その事実はない」というのが外務省の答えだったという。ところが、アメリカ側の報道で、マランティス次席代表が、「TPPに関連して日本に対する要望を述べた」ことが明らかになり、それを指摘されて外務省もその事実を認めざるをえなくなった。以下は、私が山田氏から入手したその「報道内容」である。

「USTR(米国通商代表部)次席代表のデメトリウス・マランティスは、日本のTPP参加への関心の表明に関連してUSTRが次にとるステップを説明し、また、日本の3分野に関する米国の優先事項を概説するために、先週東京にて日本の高官に会った。

 11月17-18日に行われたその会合において、マランティスは日本に対し、米国産牛肉の輸入制限緩和、日本の自動車市場の開放、日本郵政の改革についてさらなる改善を特に求めた、とUSTRの報道官は述べた」(米国貿易情報紙INSIDE US TRADEのインターネット配信記事)。

 注目すべきは、アメリカの優先的要望事項の中に「日本の自動車市場の開放」が入っていることである。

 自動車については、日本の方がアメリカよりも競争上優位にあることは周知のところである。それを脅威と感じるアメリカの自動車業界は、日本がTPPに加わることに反対してきた。

 そこで、日本をTPPに参加させたいと考えているアメリカ政府は、自国の自動車業界を説得するためにも、日本に対してアメリカの自動車がもっと売れるようにあれこれ要求することになる。TPPに関連して、アメリカ政府が「自動車市場の開放」を最優先に求めてきたのはこうした事情からである。

アメリカは日本の自動車技術の公開やディーラー制度の改変を要望
~「日本はTPP参加の前にこの要望に応えるべきだ」というのがアメリカの主張~

 では、それは具体的にどんな要求なのか。外務省北米第二課による「米国の関心事項(牛肉、保険、自動車)」(2011年11月付)という文書には、次のような記述がある。

3.自動車
・自動車の技術基準ガイドライン
 革新的かつ先進的な安全基準を搭載した自動車に関する自主的ガイドラインを定める際の透明性を高め、また自主的ガイドラインが輸入を不当に阻害しないよう確保することで、米国の自動車メーカーがこうした自動車を日本の消費者により迅速かつ負担のない形で提供できるようにする

 すなわち、日本が自動車の安全性や燃費などに関するガイドラインを定める場合には、その技術をオープンにして、アメリカの会社もそういう技術をもった自動車を日本の消費者に迅速に供給できるようにすべきだというのである。これは日本の自動車の最先端技術を「教えろ」と言っているようなもので、大きな問題をはらむ要求だといってよい。

 これ以外にも、アメリカは日本のディーラー制度などを「非関税障壁」と見ているようで、この点についてもTPPに関連して問題にしてくる可能性がある。「トヨタのディーラーはトヨタ車だけでなく、アメリカ車も売るべきだ」というようなもので、これも簡単に受け入れられる要求ではない。

 これらはあまりにもとっぴで、日本国民の感覚からすれば一見信じられないようにさえ思えるが、経済産業省は「日本の自動車市場の非関税障壁に関する米国の主張について」(2011年11月24日付)という文書の中で、こう記している。

 アメリカ自動車業界は、日本が、「ユニークな技術要求や流通及びサービスセンターなどの制限、通貨介入などの非関税障壁で自動車の輸入をブロック」していると認識しており、「日本は、米国が貿易上の利益(TPP交渉への参加)を与える前に、市場開放に向けた具体的な対応をすべき」だと主張している、と。

 分かりやすく言えば、上に述べたような米国の要求を受けて入れて、「日本の自動車市場を開放」しない限りは、日本をTPPに入れてやるべきではないというのが自動車業界の主張なのである。マランティス通商代表部次席代表はその自動車業界の「声」を日本に伝えるべく、野田首相のTPP参加表明を受けてすぐに日本にやってきたのである。

 この事実を知っている国民は何人いるのだろうか。マスコミから流されてくる情報は、「農業関係者が反対している」というものばかり。TPP問題はマスコミによってすっかり農業問題に矮小(わいしょう)化され、その限られた情報で日本国民は参加への賛否を判断させられてきた。日本経済新聞が誇らしげに強調する「4割賛成」という世論調査の結果についても、私たちはそういうものとして受け止めなければならない。

NAFTAでのISD条項による敗訴件数
――カナダは30件中3件、メキシコは19件中5件、アメリカは19件中ゼロ

 もう1つ、TPPに関して国民が知っておくべきものが「ISD条項」である。これについても日本国民は十分に「知らされていない」。

  ISD条項というのは、Investor State Dispute Settlement 条項、直訳すれば「投資家対国家の紛争解決」条項という意味になる。

 この条項は、例えば日本に進出したアメリカの企業が日本の制度や政策によって不利益を被ったと判断した場合、国際復興開発銀行(世界銀行)傘下の「投資紛争解決センター」(ICSID)へ訴えることができるというものである。

 例えば、TPPの協定の中には「政府調達」という項目があって、公共事業などの入札でTPP参加国の企業を国内企業より不利に扱ってはいけないということになっている。これが適応されると、例えば国がかかわる公共事業で、地方自治体が地域活性化のために地元の中小建設業を優遇して仕事を与えようとしたら、「これは外国企業を差別するものだ」と国が訴えられる可能性がある。

 ISD条項はTPPによってあらためて登場した条項ではなく、すでに日本がシンガポールやマレーシア等と結んだEPA(経済連携協定)にも盛り込まれている。しかし、これまで日本政府がシンガポールやマレーシアの投資家に訴えられたことはない。この事実をもって、「ISD条項を恐れるのはおかしい」とする論者もいるが、米国企業は尋常ではないということを頭に入れておく必要がある。

 2011年8月現在、それまでのNAFTAでのISD条項での訴訟件数は72件にのぼっている。そのうち30件はカナダ政府が訴えられたもので、そのうちの3件でカナダ政府の敗訴が決定している。これらはすべてアメリカ系企業から訴えられたもの。賠償金は総額にしておよそ100億円にのぼる。また19件はメキシコ政府が訴えられたもので、うち5件でメキシコ政府の敗訴が決定している。これもすべてアメリカ系企業から訴えられたものである。賠償金総額はおよそ140億円にのぼる。

 もちろん、アメリカ政府がカナダやメキシコの企業・投資家に訴えられたケースも19件ある。しかし、アメリカ政府が賠償金を支払わされたケースは“ゼロ”である。つまり、アメリカがもっとも強い影響力を持っている世界銀行傘下の組織で裁定を下し、非公開かつ上訴の仕組みもないISD条項の運用下では、アメリカが圧倒的に有利なのである。

 震災復興や津波対策・地震対策に関連して、今後日本での公共事業は拡大する傾向にある。アメリカ企業がそれをチャンスと見て、日本への参入に力を入れる可能性は低くない。TPP参加は日本の中小建設業にも影響をあたえる可能性がある。

 そんな時、公共事業で、地元中小企業を優先して仕事を与えるようなことをしていたら、アメリカの企業はISD条項によって日本政府を訴え、日本は多額の損害賠償を支払わされた上、地元中小企業優先を断念せざるをえなくなる。

 もちろん、問題は建設業にかかわるだけではない。現在日本では、遺伝子組み換えによる食材を使用している場合には、それを消費者に伝えることが義務付けられているが、遺伝子組み換え食材を多く使っているアメリカ企業が、これを「不利益を与えるもの」として訴える可能性もある。

 TPPに参加して安易に日本がISD条項を受け入れてしまうと、日本は自主性をもって制度を構築したり、政策を遂行していくことが著しく制約される。安全基準についても同様である。この事実も日本国民はほとんど知らない。

 TPP参加を急ぐ必要はない。じっくりと国民的な議論を積み重ね、問題点を洗いざらい明らかにしながら、TPPに挑む政府の姿勢を国民の目線で常に正していくことが肝要なのである。そのためにも、今こそマスコミの姿勢が問われている。

※TPP問題を取り扱った私の番組「山口教授のホントの経済」をご覧になりたい方はYoutubeで。
⇒http://www.youtube.com/watch?v=EkBu_E_wTjY

(2011年12月10日執筆)

(2011年/スモールサンニュース12月号より)

第55回山口教授のコレが言いたい!2011年

7月 2nd, 2014

「日本化」と「アメリカ病」
~「失われた10年」に悩まされるアメリカ~

 今アメリカで「日本化」が話題になっている。といっても、「日本文化を取り入れよう」とか、「日本人のやり方を学ぼう」といった話ではない。「アメリカも日本のようになってしまうのではないか」という懸念から、「日本化」が話題になっているのである。

失われた10年

 1980年代後半、日本は不動産バブルを体験し、その不動産バブルがもたらすさまざまな景気浮揚効果に日本中が酔いしれていた。しかし、「宴」は長く続かない。バブル経済は実質3~4年で終わり、90年代に入ると、不動産価格は急落をはじめた。

 それと同時に日本経済は深刻な不況に突入し、以後2003年ごろまで長期の低迷にあえぐこととなった。この長期低迷期を指して、多くの人たちが日本経済の「失われた10年」と呼んだことは周知のところである。

 住宅バブルに酔いしれ、その後リーマンショックとともに深刻な不況に見舞われたアメリカ経済。リーマンショックからすでに3年も経過したにもかかわらず、景気浮揚どころか「二番底」懸念がいまだに叫ばれている。

 そんな中にあって、「アメリカもバブル崩壊後の日本のように、『失われた10年』を体験することになるかもしれない」という懸念が、いよいよリアリティーをもって語られ始めている。奇妙なのは、アメリカ人たちがこうした懸念を、「アメリカ経済も“日本化”してしまうのではないか」といった具合に表現することである。

なぜ「日本化」と呼ぶのか

 もともと「失われた10年」という言葉は日本に向けて言われたものではない。それは70年代後半に発生したバブルが崩壊し、その後長期の経済低迷にあえいでいた中南米諸国に向けて言われた言葉である。「80年代は中南米の失われた10年である」といった具合である。

 その言葉をそのまま不動産バブル崩壊後の日本に当てはめて、当時の日本経済の低迷ぶりを「失われた10年」と称したのである。実際には日本経済の低迷はおよそ14年に及んだのだが。

 大きなバブルが崩壊すると、10年ほど経済が停滞する。これは、「歴史が示す法則」なのである。それは決して日本に特殊な現象ではない。それにもかかわらず、それを「日本化」と呼ぶアメリカ人たち。その背後には、2つの心理が働いているように思われる。

 その1つは、「失われた10年」をバブル崩壊に伴う不可避的な現象だと見做(みな)したくないという心理である。彼らは、それをあくまでも政策上の失敗によるものだと考えたいのである。実際、オバマ大統領は就任後初の会見で、こう語った。

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 90年代、日本は大胆かつ迅速な対応をとらなかったので、いわゆる「失われた10年」に苦しみ、ほとんど成長できなかった。(2009年2月9日の会見、於ホワイトハウス)

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 バブル崩壊後、日本は政策的に失敗したが、アメリカはそんな失敗はしない。だから、アメリカは日本のように「失われた10年」には陥らないのだというわけである。

 そしてもう1つは、アメリカという国の「底力」を信じたいという心理である。「バブル崩壊後10年も停滞したのは日本が弱々しい国だからだ。その点アメリカは違う。だから、アメリカは『失われた10年』とは無縁だ」――そう信じたいのである。

 こうした状況を見ていると、自分のことや自分をとり巻く環境を客観的に認識することがいかに難しいかをあらためて感じさせられる。たしかに、「自分だけは特別だ」と思いたい心理は誰にでもある。しかし、そのことが事態を客観的に分析する能力を低下させ、結果として対応を誤らせることになる。私はこれを「アメリカ病」と呼んでいるのだが、現在のアメリカにとって、この病はかなり深刻な状況だといわざるをえない。

「アメリカ病」を抜け出せないアメリカ

 客観的にみれば、アメリカの状況が当時の日本よりはるかに厳しいことは明らかである。

 例えば、消費。アメリカの場合は「貯蓄率がマスナス」の状況――すなわち消費者たちが貯蓄以上に借金をして、それで消費を続けている事態――が長く続いていた。それが可能だったのは、消費者たちが住宅を担保にして銀行から借金をし続けられるほどに住宅価格の上昇が続いていたからである。あるいは、手持ちの株を売ればいつでも借金が返せるほどに、株価の上昇が続いていたからである。

 したがって、住宅価格の下落や株価の下落が引き起こす消費抑制効果は、不動産バブル崩壊時の日本とは比べ物にならないほどに大きい。日本はいっときバブルに酔いしれたとはいえ、その時期も含めて貯蓄率は「プラス」であった。

 それだけではない。日本とアメリカとでは輸出競争力が違う。バブル崩壊後の低迷から日本経済を引っぱり上げたのはやはり「輸出」だった。中国経済の躍進が日本の輸出主導型回復を後押ししたという「追い風」も作用した。

 たしかに、オバマ政権も輸出倍増を掲げてはいる。しかし、いまだその成果はみられない。日本とは輸出競争力が違うからである。しかも、世界経済の成長は新興国も含めて今後スローダウンすることが予測されている。アメリカの輸出をめぐる環境が当時の日本よりはるかに厳しいことは明らかである。

 そして、今1つは財政問題。現在アメリカの財政赤字はGDP比で戦後最大の水準に達しており、国債の格下げまで起きている。そんな中では財政出動も大きく制約される。この点でも、不動産バブル崩壊時の日本より厳しい状況にある。

 このように客観的には日本のバブル崩壊後よりはるかに厳しい状況にありながら、アメリカ人はいまだに「日本化するかどうか」といった観点でしか問題把握ができないでいる。だからこそ、QE2と呼ばれるむちゃくちゃな量的緩和政策を実施して、ドル価値の低下やインフレをまき散らし、世界中に迷惑をかけてきたのである。

 アメリカにはもっと謙虚に現実を認識し、それをふまえた経済施策を地道に実施することが求められる。それができない以上、アメリカ帝国の凋落は続くことになる。

 さて、そうだとすると、今後日本はその国際的立ち位置、アメリカとの距離関係をどう定めるべきか。将来世代のために、これをしっかり考えて行動するのが、今を生きる日本人の責務である。

(2011年10月9日執筆)

(2011年/スモールサンニュース10月号より)

第54回山口教授のコレが言いたい!2011年

7月 2nd, 2014

中小企業経営者は菅政権の「失敗」から何を学ぶべきか
~「理念」と「対話」と「信頼」を欠いた経営の危うさ~

 野田新政権が誕生した。新政権の誕生で私たちの暮らしはどう変わるのか、増税はいつごろ実施されるのか、新政権下で果たして民主党は挙党体制を組めるのかなど。新政権への期待と不安がマスコミの話題をさらっている。

 野田政権の政策運営については今後たびたび論評することになるだろうから、ここで通り一遍の推測を述べることは避けたい。ここではむしろ支持率の低迷に悩まされ、とうとう辞任にまで追い込まれた菅前首相の政権運営を振り返って、そのどこに問題があったのか、中小企業経営者がその失敗から学ぶとすれば、それは何なのかについて考えてみたい。

「理念」と「対話」――その欠如が菅政権の凋落を招いた

 民主党は自民党から権力を引き継ぎ、菅首相は鳩山前首相から政権を引き継いだ。これは、会社でいえば、社長の世代交代、新経営陣への事業承継にあたるが、一般的に言って、事業承継時の新社長・新経営陣には、少なくとも次の2つのことが課題として課せられる。

 その1つは、明確な「理念」を呈示することである。「自社の存在意義はどこにあるのか」「自社の強みは何なのか」「その強みをどう生かしていくのか」。新社長はその経営の「理念」をまずもって自分の言葉で示し、それを株主、従業員、顧客、取引金融機関など、各種のステークホルダー(利害関係者)たちと共有する。この過程を経て初めて、新社長は「社長」として認知されることになる。

 いま1つは、現場との「対話」を怠らないことである。現場は常に具体的な問題を抱え、その現実的な解決策を求めている。高邁な理念を振りかざすだけでは会社は経営できない。新社長は自ら現場に赴き、そこで問題を発見し、解決の糸口を見いだしていく。そうした現場重視の姿勢とコミュニケーション能力が新経営陣に対する現場の信頼を醸成し、スムーズな事業承継を可能にする。

 かつてカルロス・ゴーン氏が会社再建のために社長として日産自動車に乗り込んできた時、赴任後真っ先に現場を徹底的に回ったことは周知の事実である。「日本人社長の誰もこんな現場まで来てくれなかった」と従業員たちは驚き、そんなゴーン氏に信頼を寄せた。それがその後の会社再建の原動力となっていった。

 明確な「理念の呈示」と綿密な「現場とのコミュニケーション」――会社の事業承継時に必要とされるこれら2つのことを、菅前首相は政権スタート時から全くと言っていいほど怠ってきた。菅政権を特徴づける政策提示の「唐突さ」とそれへの国民の拒否反応がそのことを端的に物語っている。

菅政権に付きまとってきた「唐突さ」

 例えば、菅首相が参議院選挙前に「唐突」に打ち出した消費税増税はその典型である。消費税を引き上げてどういう国づくりを進めようとしているのか。肝心な国家理念が全く示されないまま、「10%」という数字だけが提起された。消費税増税の影響などについて、国会議員や経済の現場を担う経営者たちと「対話」しようという姿勢も全くなかった。

 それゆえに、税率や逆進性対策を巡って、首相の発言が選挙中に二転三転するという醜態をさらけだすことになり、このことがまた有権者の怒りを買って、与党民主党は参議院選挙で大敗を喫した。その結果は「ねじれ国会」。この「ねじれ」に悩まされながら、菅前首相は辞任への道を歩み続けることとなったのである。

 この唐突な増税提案の背後には、「ギリシャ危機」があった。ギリシャ危機を目の当たりにした当時の菅財務大臣は、「財政再建に取り組まなければ、国際通貨基金(IMF)が箸(はし)の上げ下ろしまでコントロールすることになりかねない」と懸念を示したという。

 しかし、このコーナーでもすでに述べたように、少々冷静に考えてみれば、右の懸念が一種の「早とちり」であることは誰でも気づくことである。なぜなら、日本国債はすべて円建てであり、国債償還に必要なのは「円資金」であって、「外貨」ではないからである。したがって、日本政府がIMFに融資を請う理由はなく、そうである以上、当然のことながら「IMFの監視下」に置かれることもない。

 本気で「IMFの監視下」に置かれることを心配するのであれば、警戒しなければならないのは、「財政赤字」ではなく、むしろ対外的な「経常収支赤字」である。経常収支が赤字化すれば、いずれ外貨不足が起き、IMFからの融資を仰ぐ必要も生じる。そうなれば、結果として日本が「IMFの監視下」に置かれるという事態も起きかねない。

 ちなみに、最近の新聞論調は、この2つの「赤字」を意図的に同一視して、財政危機を煽(あお)っている。例えば、日本経済新聞の次の記述はその典型である。

「日本の債務が直近5年間と同じペースで増え続けると仮定すると、2015年に277%となり、終戦直後の英国の記録を抜く計算となる。英国はその後、インフレや通貨安に見舞われ、外貨準備が枯渇した英政府は、70年代にIMFの緊急融資を受けた」(2011年2月12日付)。

 たしかに、英国は戦争直後の1946年に、GDP比269%にまで債務残高が膨れ上がった。しかし、英国がIMFから緊急融資を受けることになったのは1976年である。その間には30年もの開きがある。しかも、その76年当時には、英国の債務残高はすでにGDP比50%程度にまで縮小しており、戦争直後の記録的債務膨張はとっくに解消されていたのである。

 IMFの緊急融資が必要になったのは、60年代に入って以降英国産業の国際競争力が衰え始め、経常収支赤字が拡大してしまったからである。これは、戦費調達に起因する戦争直後の債務膨張とは全く関係ない。ところが、日経新聞の記者は、「その後」という一言で戦後30年の時の経過を中抜きし、平気でGDP比269%の国家債務とIMF緊急融資を直結させてしまうのである。

 これと同じ「論理的飛躍」が、ギリシャ危機を目の当たりにした菅首相の頭の中で起きたにちがいない。あたかも子供が商品売り場でたまたま目に入ったおもちゃに吸い寄せられるように、ギリシャ危機という騒ぎに踊らされて、突然増税策を打ち出してしまったのである。

「理念」も「対話」もなしに唐突に事業方針を打ち出し、強引にそれを実践しようとする。それをリーダーシップと勘違いしている中小企業経営者は少なくない。そういう経営者こそ、菅政権の末路からしっかりと教訓を引き出しておくことをすすめたい。

「唐突」の極み――TPP参加問題

 菅政権に付きまとう「唐突さ」、その極めつけがTPP(環太平洋経済連携協定)への参加問題である。これは、たんなる関税問題ではなく、「日本の文化や伝統までも左右しかねない」(山田正彦民主党衆議院議員)ほどに、多方面への影響が考えられる問題である。これこそ、国家の理念そのものを問うテーマだといえる。

 ところが、それほどの大問題であるにもかかわらず、菅首相は昨年10月、突如として閣議でTPP参加検討の指示を出し、翌11月には、早々とAPECにおいて参加協議への着手を示唆する公式発言を行った。

 関係省庁がどれほどの時間をかけてこの問題について議論を積み上げてきたのか。また、関係各国からの情報収集にどれほどのエネルギーが費やされてきたのか。与党ではどのような「熟議」がなされたのか。これらについて、国民への説明は全くない。APEC議長国として、オバマ米大統領への「お土産」を渡したかっただけではなかったのかと、その唐突ぶりを揶揄する声もあるほどである。

 ギリシャ危機に反応して消費税増税を言い出し、日本でのAPEC開催(米大統領の来日)に合わせて突如TPP参加を提起する。菅政権のこんな場当たり的な政策運営に不安を感じない方がおかしい。となれば、まずはともあれ「反対」の意思表示をしておこうということになる。

 実際、都道府県議会のうち、TPPに関して意見書を議決した40の議会の中で、「反対」が11、「慎重に検討すべき」が23と、8割が慎重対応を求めている。また、941の町村が加入する全国町村会は、昨年10月にTPP参加の撤回を求める緊急決議を行っている。

 これは「理念」と「対話」を欠いた提案が何を引き起こすかの典型的な事例である。菅前首相は消費税増税で大敗した選挙の体験から、ほとんど何も学ばなかったのである。

「人」を育て、「人」にまかせる
  ~「信頼」を欠いた組織運営の末路から学ぶ

「菅さんは自分より能力がありそうな人はすべて排除する。いつもお山の大将でいたがる人だ」――これが国会議員たちから私が耳にした菅前首相への人物評である。

 能力ある人材を見いだし、その能力を育てながら、その人を信頼して仕事を任せていく。任せられた側は、その期待に応えようとがんばる。こうした相互の信頼関係が会社を強くする。リーダーシップとはそういう相互関係をリーダーが意識的に構築していくことにほかならない。

 菅前首相にはこうした会社運営の基本がほとんど理解できていなかったのではないか。唐突な政策提案や方針転換に「現場」は戸惑い、そのたびに閣僚たちも含めて、「自分は信頼して任されていたわけではなかった」のだと自覚させられる。この繰り返しによって組織としてのエネルギーが削(そ)がれ続けてきたのが、まさに菅政権であった。

 そこには、菅前首相の人間観に流れる独特の「人間不信」があったのではなかったか。とすれば、「友愛」を強調した鳩山元首相から一足飛びで、真反対の方向に政権運営の基本がぶれたことになる。

 反面教師として、中小企業経営者が経営者としての自分のありようを振り返るには格好の材料を提供してくれた菅前政権。ならば、野田新首相の政権運営はいかに…。こんな観点から、政治をウォッチングしていくことも悪くない。

(2011年9月4日執筆)

(2011年/スモールサンニュース9月号より)

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