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第47回山口教授のコレが言いたい!2011年

7月 1st, 2014

“人が育つ会社づくり”、“人が育つ地域づくり”
~イタリアブランド企業の実践に学ぶ~

「観たよ!」という方もおられると思うが、本年1月11日から14日まで、私はNHK(BS1)で放送された、「イタリアブランドパワー~地方にこだわる世界企業」に5夜連続で生出演した。そこで目の当たりにしたものは、人・企業・地域・世界という4つの要素が相互に絡み合い、支え合うことで見事にブランドパワーを生み出しているイタリアの現実であった。

「日本の中小企業も世界市場にもっと進出すべきだ」(=「中小企業の国際化」)ということについては、すでに何回かこのコーナーでも主張してきた。今回は、上の4つの要素のうち、特に人と企業、人と地域とのかかわりを中心に、イタリアブランド企業の歴史とその実践を紹介したい。

人材が企業を呼び込む~フェラガモを呼び寄せた町・フィレンツェ

 放送第1夜で取り上げたブランド企業は、高級靴で有名な「フェラガモ」である。創業者サルヴァトーレ・フェラガモは1898年ナポリ近郊のボニート村で生まれた。生活費を稼ごうと9歳で近所の靴屋に弟子入りし、早くも12歳にして自ら靴屋を開業した。その彼が兄を追ってアメリカへ渡ったのは1914年、16歳の時であった。

 渡米後、ハリウッドで映画衣装用の靴を受注したことがきっかけとなって、サルヴァトーレは一躍時代の寵児となる。彼の靴を一度履いた映画スターたちが、そのデザインと履き心地のよさに魅入られて、こぞってプライベートでも彼の靴を求めるようになったからである。

 注文が増えるにつれて、生産が追いつかなくなる。それでも、彼はあくまでも「手作り」にこだわった。しかし、当時すでに大量生産型の靴作りが一般化していたアメリカでは、腕のいい靴職人を数多く集めることは不可能だった。そこで、29歳の時、彼はある決断を下す――「イタリアに戻ろう!」

 だだし、新天地として選んだ町は、生まれ故郷のナポリ近郊ではなく、“フィレンツェ”だった。フィレンツェは、ルネサンス以来の歴史を持つ世界有数の職人の町。今でも、路地には職人たちの工房が軒をつらねる。

 特に、革細工はフィレンツェの伝統工芸である。靴職人も多い。サルヴァトーレは新たな靴のブランドを立ち上げるべく、彼らに声をかけた。そして、1928年、60人ほどの靴職人とともに、靴メーカー「サルヴァトーレ・フェラガモ」がそのスタートを切ったのである。

 フィレンツェでは、伝統的な編み物やレース、刺繍など、さまざまな職人たちの技に触れることができる。サルヴァトーレはそうした伝統工芸に数々のヒントを得ながら、2万もの新しい靴のモデルを開発した。

 今では、フェラガモは100カ国に販売網を持ち、2600人の従業員を抱えるトータルファッションブランドになっている。機械化は進めたものの、すべての製品にどこか必ず昔ながらの職人技を取り入れて、手作りの味わいを残している。

「イタリアの職人たちの力を借りて履きやすさを追求しながらも、時代によりそった斬新なものを送り出す。ベースをしっかり保ちながらも、チャレンジを忘れない。こうした『父の思想』を現在も引き継いでいることが、わが社の今日の繁栄の秘訣です」――現会長のフェルッチオ・フェラガモ氏はこう語る。

 もちろん、フェラガモは職人を「育て続ける」ことにも力を注ぐ。同氏は言う――「今日のイタリアでは、若い人が就職することは非常に困難です。だから、若い人たちをサポートして、能力を育て、チャンスを与えることは、国の未来のためにも大切です。現代の若い人たちは基礎学力もあり、優秀です。私は若い人たちに大きな期待を持っているんです」。

“人が育つ町”をつくる~ファッションブランド・ベネトンの戦略

 放送第3夜で取り上げた世界的アパレルブランド「ベネトン」も、若者を育てることに力を注ぐ。

 今から56年前の1955年、イタリア北部の町トレヴィーゾに住むベネトン家の4兄弟があるビジネスを始めた。それは、当時18歳のジュリアーナが編んだセーターを、20歳のルチアーノが売り歩くというもの。もちろん、オフィスも工場もない。――これが現在の世界的ブランド、ベネトン社の始まりだった。ちなみに、ジュリアーナは現会長である。

 ジュリアーナの編んだセーターは、またたく間に若者の間で評判を呼んだ。その鮮やかな原色系の色彩が若者たちを惹きつけたからである。というのも、当時のヨーロッパのファッションの多くは、シックな色使いのものばかり。ベネトンの服は新しい感性を待ち望んでいた若者たちから、熱狂的な支持を受けたのである。

 その後同社は急速な成長を遂げ、今や世界120カ国に6000店舗を展開するイタリアの代表的企業になっている。300名のデザイナーを擁し、次々と新しい服を世に送り出している。

 そんなベネトンを特徴づける経営上の戦略が2つある。1つは、広告戦略。その奇抜な広告は常に世界の注目を集めてきた。「血だらけの戦闘服」「油まみれの鳥」、人種差別反対のメッセージを込めた「白人の赤ちゃんに授乳する黒人女性」など……。その生々しい写真が世界中で賛否両論を巻き起こしてきた。

「称賛もありましたが、批判も受けました。批判は甘んじて受けるつもりです。私たちは、さまざまな社会的テーマを消費者と共有したいだけなのです」と、現副会長のアレッサンドロ・ベネトン氏はいう。

 そして、もう1つ、ベネトンに特徴的なのがその人材戦略である。1994年、ベネトンはその本拠地トレヴィーゾに「ファブリカ」という名のコミュニケーション研究所を設立した。現在も、そこにはクリエーター志望の若者が世界中から集まってきている。

 入所の条件は25歳以下であること。面接と2週間にわたるさまざまな選考にパスすると、1年間生活費や交通費を支給され、自由に研究や創作活動に取り組むことができる。優れた作品はすぐにポスターや雑誌、広告として取り上げられ、世界に向けて発信される。

 ファブリカのオマール・ブルピナリ主任は言う――「創造の過渡期にいる若者たちは、アイデアがあっても仕事に結び付けられない。創造と仕事の両方を経験しておけば、独創性をもったまま自立していけるのです」。

 ファブリカに入所したからといって、必ずしもベネトンに勤めなければならないわけではない。同所で過ごした後、フリーで活躍している世界的アーティストは少なくない。だからこそ、世界中から若者が集まってくるのである。

 ベネトンはクリエーティブな若者の拠点を作ることで、そこから新鮮なセンスを取り入れ、若者にアピールする力を維持し続けているのである。このベネトンの戦略がトレヴィーゾという町に波及し、ファブリカができた翌年から、町にはファッションや工業デザインを学ぶ学校が続々と設立された。今や、トレヴィーゾはクリエーター志望の若者たちを世界中から呼び寄せる町になっている。

「人が育つ会社」「人が育つ町」を作ろう!~イタリアから学ぶ日本の課題

 この第3夜の放送回の最後に、私はアナウンサーに促されて、自分で書いた1枚のフリップを示した。

――「“人が育つ町”に、優秀な人が集まる」――  

「日本では“人が育つ町”がどこなのか、残念ながらイメージできません」と、私は言い添えた。「人が育つ会社」「人が育つ町」をどのようにしてつくっていくか。イタリアブランド企業の実践を目の当たりにして、私たちが取り組むべき日本の課題が見えてきた気がした。本コーナーでも、この課題をしばらく追ってみることにしたい。

(2011年2月6日執筆)

(2011年/スモールサンニュース2月号より)

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