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第42回山口教授のコレが言いたい!2010年

7月 1st, 2014

「民意」「世論」「市場の声」って何?
~マスコミが振りかざす言葉の危うさ~

「民意」って何?「世論」って何?「市場の声」って何?――最近の新聞を読んでいると、こんな「つっこみ」を入れたくなるような記事をよく見かける。少々へそが曲がっているのかもしれないが、私はマスコミがこんな言葉を振りかざすたびに、「本当なの?」と、その正当性を疑ってみたくなる。

朝日新聞「あいた口がふさがらない」社説への疑問

 例えば、「小沢氏出馬へ――あいた口がふさがらない」と題した8月27日付朝日新聞の社説。

 社説執筆者が「あいた口がふさがらない」と感じたのは、まだ政治資金規正法違反事件が「決着」していないにもかかわらず、小沢一郎氏が民主党代表選に立候補したからだという。しかし、一つの事件について、そもそもどの時点をもって、「決着」と判断すべきかは、国民の間でも意見が分かれてしかるべきものである。

 検察特捜部が大掛かりな強制捜査をし、関係者を次々に調べ上げて、それでも「不起訴」の結論を出したのだから、この時点で事件は「決着した」と判断すべきだ――小沢氏のこの主張は、果たして「あいた口がふさがらない」ほどに正当性を欠いたものなのだろうか。

 例えば、電車内でチカン行為をはたらいたのではないかと、あなたが警察に疑いを掛けられたとしよう。その後、警察は徹底的に取り調べたが、結局証拠はでてこない。あなたは「不起訴」になったとする。

 そこで、この問題は「すでに決着した」と判断して、あなたは休んでいた会社への通勤を再開した。ところが、「まだ『怪しい』と疑っている人もいるのに、のうのうと会社に出て来るなんて、『あいた口がふさがらない』」と仲間から非難される。会社はその非難の声に配慮して、職場復帰を認めようとしない。こんなことになったら、あなたはどう思うだろうか。「これは人権侵害だ、捜査を経て『不起訴』になったのだから、もう『決着』ずみだ」と主張するに違いない。

 会社はあなたの説明不足を責める。「職場復帰したかったら、仲間に対し身の潔白をもっと説明すべきだ」と。しかし、説明したらといって、「怪しい」と思っている人がゼロになるとは限らない。ゼロにならなければ、会社に出てきちゃいけないというのは、ちょっとひどすぎる。――小沢氏が「出馬するのはけしからん」と言っているのは、これと同じではないか。そう考える国民がいてもおかしくないはずである。

 ところが、朝日新聞は、「どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない」と断じるのである。

「世論調査」とは、マスコミの影響力を確認するための調査?

 そもそも選挙に出馬すべきかどうかということを、第三者が「民意」を「代表」してアレコレ批判すること自体がおかしい。なぜなら、その「民意」を確かめるために選挙があるのだからである。もし出馬が「民意」に沿うものでなければ、その候補者は選挙で負けることになる。それが民主主義である。朝日新聞が断ずることではない。

「選挙なんかしなくても、民意は分かっている」――朝日新聞の論説員たちはそう考えたのかもしれない。では、彼らはどうやって「民意」を知ったのか。「世論調査」だろうか。しかし、今や「世論調査」は、「マスコミの影響力を確認するための調査」と化している。

 マスコミがある方向性をもった記事を連日流す。その後しばらくして、「世論調査」を実施すれば、過半が同様の方向性をもった回答になる。当たり前である。しかも、そういう結果を誘導するかのような質問の仕方をすれば、なおさらである。

「小沢氏出馬はけしからん」というトーンで記事を流しつづけ、しばらくして、「小沢氏の出馬は納得できるか」と読者に問う。当然のこととして、「納得できない」という答えが大半になる。すると今度は、その「調査」結果をもって、マスコミは「これが民意だ」と主張する。

 実際、9月6日付朝日新聞は「世論調査」の結果を、「小沢氏出馬『納得できぬ』75%」と見出しをつけて、「そら見よ!」とばかりに誇らしげに報じている。しかも、この問いは、「(小沢)氏が自らの政治資金問題で幹事長を辞任したことを紹介した上で尋ねた」そうである。これでは、尋ねる前に答えは「読めている」と言ってよい。

「なんだか茶番に見えてしまう」と言ったら、言いすぎだろうか。いずれにしても、「茶番」になりかねないことを十分に念頭に置いて、論説員たちは「民意」とか「世論」とかといった言葉を慎重に使うべきである。そういう謙虚な姿勢こそが、マスコミの健全さを維持させるのである。(ちなみに私は、民主党代表選で小沢氏を支持すべきだなどといっているのではない。マスコミの姿勢を論じているにすぎない。誤解のないように。)

「市場の声を聞け!」の危うさ

 日本経済新聞などの経済紙に登場する「市場の声」という言葉、これにも同様の「危うさ」を感じる。例えば、政府や日銀にある政策の実施を要望する際、論説員たちは、「これが市場の声だ」とばかりに正当性を振りかざす。しかし、その「市場の声」とは一体誰の声なのか。さっぱりわからない。

「市場」ではさまざまな投機が横行している。とすれば、「市場の声を聞け」とは、「投機筋の要望に従え」と言っているのと同じになるが、それでいいのか。

 金利、株価、為替相場などの上がり下がりを、「市場の声」と称すること自体は理解できるが、その相場変動はさまざまな要因を反映しており、その主因をどう理解するかは論者によってまちまちである。「市場の声」というだけでは、まったくわからない。ましてや、経済学でいう「市場の失敗」はいつでも起きていることである。「市場の声」という言葉で、自己の主張の正当性を裏付けたかのような気持ちでいること自体、大いに問題である。

 マスコミで「民意」「世論」「市場の声」という言葉を見かけたら、要警戒! 私たちはちょっと立ち止まって、その正当性についてきちんと考えてみることが必要なようである。

(2010.9.6執筆)

(2010年/スモールサンニュース9月号より)

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