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第35回山口教授のコレが言いたい!2010年

7月 1st, 2014

鐘は打つほどに響く~消費者から参加者へ~

 2009年のスモールサンニュース5月号と6月号で、若者の「消費者化」を取り上げた。その時以来というわけではないが、私はどうも「消費者」という言葉に、否定的な響きを感じてしまう。

 たとえば、多くの人たちが、お金の支払いが介在するというだけで、人間関係を財やサービスを売り買いする「消費者」対「供給者」という関係で捉えたがる。しかし、私は「それでいいのか」と問いたくなる。

 もちろん、こうした認識が誤っているというわけではない。そういう認識を持つことが「消費者」としての正しい権利意識を生み、他方「供給者」の側にはきちんとした「プロ意識」を醸成することにもなる。平たく言えば、「お金を払っているんだから」という権利意識と、「お金をもらっているんだから」という緊張感である。これはむしろ大切なことである。
 しかし、すべてを「消費者」対「供給者」という関係に還元してしまうことにも問題は多い。実際、安易な「消費者」意識が、財やサービスを受け取る側の姿勢をあまりに「受け身」にしてしまい、結果として、彼らが本来得るべきものを得られなくしてしまっているということもある。

消費者というより、参加者であるべき

 その典型が「教育」である。最近、「モンスター・ペアレント」という言葉をよく耳にする。教師にやたらクレームをつける親たちのことで、その存在が教育現場を混乱させているというのである。

 しかし、親が学校の教育に対してあれこれ「口を出す」こと自体、悪いことだとは私は思わない。子供の教育に無関心な親より、はるかにマシである。本来、子供の教育権は親に帰属していて、教師にあるわけではない。だから、親が教師の教育実践にあれこれ「口を出す」のはむしろ当然のことなのである。

 問題はそこにあるのではない。その親たちの「口を出す」姿勢にある。そこで聞かれる親の意見は、多くの場合、教師とともに子供の教育にあたるのだという前向きな「参加者」としてそれではない。そのほとんどが、教育サービスをお金で買っている「消費者」としてのクレームなのである。教師は「クレーム処理」に追われ、教育現場は停滞することになる。結果として、親たちは十分な教育サービスを得られないことにもなる。

 私はかつて、ゼミ生に「君たちが大学に支払っている授業料は、何に対する対価だと思うか?」と聞いたことがある。私はてっきり「それは自分たちが受け取る教育サービスに対する対価です」と、「消費者的」な答えが返ってくるものだと思っていた。しかし、実際はそうではなかった。そのゼミ生はこう答えたのである。

「それは、大学という教育の場を活用させてもらうことへの対価です」。

鐘は打つほどに響く

 鐘は打つほどに響く――私が、ゼミ生たちに繰り返し語ってきた言葉である。鐘は強く打てば大きく響くが、弱く打てば小さくしか響かない。ゼミという場を、自分の成長にどう役立てるかは君たち次第なんだよ。自分が積極的に参加しようとしなければ、結果として何も得られない。「口に何か入れてもらうのを待っている」といった姿勢では、けっして成長できない。そのことを忘れないで。

 上記のゼミ生の返答は、私がこんなことを繰り返しゼミで語ってきたことの反映なのかもしれない。

 誤解を恐れずに言えば、同様のことを、私はスモールサン会員にも求めたいのである。ぜひとも、スモールサン会員には「消費者」ではなく、「参加者」であってもらいたいと思っている。スモールサンの会費は、私たちが提供する「サービスに対する対価」ではなく、スモールサンという「中小企業経営者の育ちあいの場を活用することへの対価」であってほしいのである。

 会員諸氏には、受け身で情報を得るだけでなく、できるだけセミナーや「囲む会」に積極的に参加して、報告者や参加者間での交流を通して貪欲に「何か」を得ていただきたい。送られてくるニュースを読むだけでなく、たとえ短くても「感想」をしたためて私のところに送っていただたい。それが、会員相互の学び合いの輪を広げ、成果は「感想」を送った本人にも返ってくる。

 「そんな面倒なことまでは、ちょっと…」と感じておられる会員も少なくないかもしれない。でも、やっぱり鐘は打つほどにしか響かないのである。

(2010年2月7日筆)

(2010年/スモールサンニュース2月号より)

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