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第27回山口教授のコレが言いたい!2009年

7月 1st, 2014

若者の「消費者化」が、日本に危機を呼ぶ(2)
――若者に“自分の位置”を知らしめる――

 スモールサンニュース5月号のこのコーナーで、中小企業後継者難の背後にあるものとして若者の「消費者化」について言及した。今回は、この問題についていま少し踏み込んでみたい。

若者の消費者化とは・・・

まずは、前号での問題提起を簡単に振り返っておくことにしよう。近年の若者を特徴づける「消費者化」現象――これを前号では、学生たちに散見される事例を挙げながら、下記のように指摘した。

 私の職場は立教大学である。その立教大学の学生の中には、例えば早稲田大学を1年で辞め、あらためて入試を受けなおして立教に入学してきたという者がいる。
「なぜ、1年で辞めてしまったの?」と聞くと、彼らは、大学に入ってはみたものの、「思ってたのとは違ってたから」と答える。

 私のゼミでも、入ゼミ後1ヶ月もしないうちに――言い換えれば、たった一度もゼミでの発表を体験しないうちに――ゼミを辞めたいと申し出てくる学生が毎年のように現れる。「なぜ?」と問うと、答えはやはり同じ。いろいろ期待してゼミに入ったものの、「思ってたのとは違ってた」からだという。同様のことは、入社後数ヶ月で退社してしまう若者たちにも見られる。

 こうした彼らの行動は、あたかもレストランに入って「思ってたのとは違ってた」といって、別のレストランに入りなおす消費者と同じ。彼らはまさに「消費者感覚」で、自分の居場所を探しているのである。

 退ゼミを申し出た学生に、「思ってたのと違ってた」のなら、「思ってた」ようにゼミを変えようとは思わないのかと尋ねてみると、彼らはびっくりしたような顔をしてこう答える。「そういう発想は僕にはありませんでした」。

 親鳥が餌を口に入れてくれるのを待つひな鳥のように、そこに確認されるのは、若者たちの徹底した「受け身の姿勢」である。自分を取り巻く環境の変革に、自ら取り組もうとする主体的な姿勢はそこにはない。・・・

 中小企業の後継者問題は単に経営上の問題ではない。その背後には、若者の「消費者化」という時代を特徴づける社会問題が存在している。こうした認識に立って、私たちの世代が問題解決に積極的に取り組んでこそ、社会の活力も維持される。・・・では何をすべきか。

以下では、私が学生と接する際に心がけていることを述べてみたい。

「ちゃんと挫折しなさい!」

 

 まずもって私たちが頭に入れておかなければならないことは、若者たちが発する言葉が必ずしも真実(本音)を語ってはいないということである。ゼミを辞める理由として、彼らが挙げる「思ってたのと違ってた」という言葉も同様である。多くの場合、それが自身の挫折感を覆い隠すために用いられている。

「ゼミに入って頑張ろうと思っていましたが、僕には無理でした」と言えば、挫折の理由は自分自身の中にあることになる。しかし、「思ってたのと違ってたからです」と言えば、挫折の理由は学生本人ではなく、ゼミの側にあるか、あるいは単なる情報不足ということになる。

 こうして、巧妙に自分の問題を他者の問題にすりかえ、自らを免罪する。しかも、この「すりかえ」に本人も気づいていない。正確に言えば、気づきたくないのである。したがって、彼らに対し、「『思ってたのと違ってた』のなら、『思ってた』ようにゼミを変えればいいではないか」と説教してみてもはじまらない。

 若者の「消費者化」の背後には、実は、自分自身と正直に向き合おうとしない若者の「弱さ」、あるいは「ずるさ」がある。私たちは、そのことを頭に入れておく必要がある。

 私は、ゼミを辞めたいという学生を慰留したことは一度もない。退ゼミを申し出た学生に対し、私が言うのはただ一つ、「自分をごまかさないで、ちゃんと挫折しなさい」ということ。「そんな風に自分をごまかしていると、何度も挫折を繰り返すだけになってしまうよ」。「挫折をきちんと認めて、そこから何かを学び取っておくこと。そうすれば、挫折も財産になる」。こう指摘しただけで、どういうわけか泣き出してしまう男子学生も少なくない。

ストレスは成長だ――この一言で頑張れた!!

 そうだとすれば、私たちがやらなければならないことは、「自分自身と正直に向き合える若者たちを育てること」だということになる。そのためには、どうすればいいか。

最近こんなエピソードがあった。

 昨年末のゼミの打ち上げコンパの出来事。ある女子学生がゼミでの1年間を振り返ってこう言ったのである。
「私は、先生のあの一言を何度もかみ締めながら、頑張りました。おかげで、途中で投げ出すこともなく、やり通すことができました。」
「えっ、なに言ったっけ?」――と私。
「1年前、新入生歓迎コンパの時、先生は私たち新ゼミ生に向けて、こうおっしゃいました。“ストレスは成長だ!”って」

 ゼミに入っても、1ヶ月で「辞めたい」と言い出す学生が現れる。そんなことが何年か続いたので、新入生歓迎コンパでは、私は彼らに向けてこう言うことにしたのである。

「君たちは、自分を成長させたいという思いからこのゼミに入ったんだよね。“成長”というのは、簡単にいえば『昨日の自分』と『今日の自分』が違うということ。だから、成長のプロセスでは必ず“葛藤”が起きる。『古い自分』と『新しい自分』が戦うことになるからね。

 例えば、君たちがゼミでの発表のためにレジュメ作りで机に向かっていると、友達から『遊びに行こう』という電話がかかってくる。『昨日の自分』であれば、当然友達の誘いを受けて遊びに出掛けただろう。でも、『今日の自分』はそれを断ってレジュメ作りに励まなければならない。そんな時に『何でこんなゼミに入ってしまったんだろう』と悔やんだりする。

 これはまさに“ストレス”だ。でも、そのストレスは君たちが“成長”の真っただ中にいる証拠にほかならない。このストレスを避けてしまえば、『古い自分』に逆戻り。成長はストップする。君たちは、これからいろんなストレスに襲われる。そんなときは、こう思えばいい――“自分は今成長しているんだ!”」

“自分の位置”を知らしめる

 “ストレスは成長だ!”――これは今やゼミ生たちの合言葉にさえなっている。重要なのは、この言葉がなぜこれほどに学生たちを「励ます」効果をもつのかである。私は、その理由をこう考えている。それは、この言葉で学生たちが“自分の位置を知る”ことになるからだと。

 現代の若者は刹那(せつな)的だとよく言われる。これは言い換えると、「今」を過去や未来とのつながりでとらえることができていないということ。これでは、“ストレス”はただのストレスでしかなく、それは「できるだけ避けるべきもの」という以上の意味を持たない。

 しかし、「今」を「過去の自分」と「未来の自分」との結節点として位置づければ、事態は違って見えてくる。“ストレス”にさえ「過去と未来との橋渡し」としての意義を見いだすことができる。「もう少し頑張ってみよう」という気持ちもそこから生まれる。「自分をごまかさないで」、弱々しい自分とも「正直に向き合ってみよう」という勇気も生まれてくる。

 当たり前であるが、私たち大人は若者よりも長く生きている。私たちの役割はその経験を生かして、今若者たちが人生という時間軸のどこに位置しているのか、それを気づかせてあげることにある。とはいえ、それはいわゆる「説教」ではない。自分の体験が凝縮された「自分の言葉」を、若者たちに投げかけることにほかならない。

 その言葉の一つ一つが、深刻なまでに拡大した現代のジェネレーション・ギャップを埋めていく。そして、若者たちの活力を引き出していく。――このことをまず私たち自身が信じること、すべてはそこから始まるのかもしれない。

2009年6月7日執筆 

(2009/スモールサンニュース6月号より)

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